HELLO GOODBYE

つらつらと。フラッとでロウ。

2021年5月の君へ

君は覚えていますか?
去年の3〜5月の引きこもりな3カ月間を。
長い記録になります。私の気持ちの経過です。


2020年に入り、
『あーオリンピックあるんだー』
と、棒読みな気分で始まった。
そして、中国武漢という所から何やら
ウイルスが発生し、
ダイヤモンドプリンス号、
屋形船での感染が確認され、
国内にもじわりじわり広まり始めた。


2月末に唐突に学校休校の要請がアナウンスされた。
明日も普通に学校が有ると思っていた子たち
学校休みですよ、来ないでください、とな。
自分たちもマスクをするようになる。
帰宅後の手洗いうがいの習慣がつく。


3月に入り、私はもう1つのバイトを増やしたので
そちらのホテルの食堂の仕事が始まる。
博物館などがある駅周辺は
観光客が見当たらない。
国内の様々なイベントが中止となる。
国技館では無観客の春場所
お店も営業時間の短縮が始まる。
新しい仕事を朝から夜までのシフトで
入れてもらっててよかった。
相当ヒマだったけれど、耐えてよかった。
このタイミングでお金の工面ができてよかった。


4月に入り、力が抜けるニュースが入る。
志村けん新型肺炎で死去。
ホテルの食堂でそれを知る。
えっ?思わず声が漏れた。
心拍数が確実に早まった。
一気に危機感と身近に差し迫っている現実を
思い知ることになった東京。
お店のある町の編集社でも感染者が出た。
お店も感染対策として椅子を離したり、
ドアノブを拭く事をした。
売上も大幅に落ちた。
トイレットペーパーやら食材の
買い占めが始まる。
マスクも店頭からなくなる。
メルカリではトイレットペーパー12ロールが
4,000円で出品されてる。
マスクもあり得ない値段で。
その後に規制が掛かるが。
この頃はまだ手作りマスクの考えが
広まっていなかった。


4/5に店長からLINEが届く。
これからの営業に不安ではないか、と。
正直な気持ちを聞きたいと。
私は正直に電車が怖いと返した。
他の2人はどう答えたか分からないが、
お店の英断で4/6から休業することになった。
何とかまだホテルの食堂の仕事があるから
ギリギリ生活できるだろう。

お店が休業を始めた4/6に国からの
緊急事態宣言を言い渡され、
5/6までの自粛要請が発令された。
諸外国で発令されているような
ロックダウンではなく。

ホテル食堂の仕事のない日は、
河川敷を散歩したり、
厚生労働省経済産業省などの
発表を気にするようにして
休業補償の情報をチェックしていた。
ここに引っ越してからミシン以外で
使っていなかった和室の机を頻繁に
使うようになった。
MacBook も久しぶりに広げた。
動作が遅すぎる。
とにかくネットに繋いでいる時間が大幅に増えた。
じっくり聴くことをしなかった
音楽を時間をかけて聴いてみたり、
今まで気に食わなかった若い社会学者?
メディアクリエーター?のアフターコロナの見解を
しっかり聞いている自分がいた。
とにかく不穏な先行きを知りたかった。
他の人たちがやっているようなおうち時間、
料理、楽器、絵画、読書というような娯楽は
手放しで出来なかった。
日毎に変わる状況とこの先の不安で
全うから娯楽には手を出せる気分ではなかった。
とにかく、この先を予想できる人の
情報だけを頼りにネットを繋いでいた。
気分転換には音楽、動画、インスタ、散歩の範囲。
そして最大限に私が腐らなくて済んだのは
愛猫の存在である。
あんたがいなかったこの状況を考えると、
私はどうなってたんだろうか。


いよいよマスクが入手できず、
使い捨てを洗ったり、ガーゼを間に挟んだり
工夫を施した。
台所雑貨屋で買ったあった
晒しがあったので、台所の流し排水溝に入れる
不織布を挟めてマスクを8枚縫うことにした。
街でよく見かけるようになった
ブラジャー型がどうも好きになれず、
そうではないタイプの縫い方をネットで
探し当て作成した。手応えあった。
まあよくできたと思う。
おじちゃんも毎日、使ってくれてる。

ホテル食堂のお客さんである
ホテルのスタッフの方達も出勤日を
削減されたため、食べに来る人が10人にも
達さない日もあった。
私が始めた時から少なかったので
フルの状態を未だに知らない。
人で溢れた駅周辺をまだ知らない。
やる事が無さすぎてしんどかったけれど、
お店が休業になってしまったから
何とか耐えてお金に変えた。
食堂のテレビは毎日毎日コロナコロナ。
コメンテーターのどうでもいい話。
ヒマで仕事が無いけれど、
無駄に同じところを拭いたり、
ゴミ袋を畳んだり、一度で済ませる事を
何回にも分けたりして、
ただ突っ立ってる事だけは避けた。
ゴミ袋を畳んだのに対して、
余計な事はしなくていいとされたのには
ほんのり怒りを込めて反抗しておいた。


普段ならゴールデンウィークが始まる中、
小池百合子よりステイホームウィークを要請された。
森田健作も同様。
お店が休業なので、
5月はホテル食堂の方でGWも含めて
多めにシフトを入れてもらおうしたけれど
食堂の営業時間が短縮されてしまった。
そりゃそうだよな。宿泊客がほぼいないのだから。
結局、5月は1日だけ出勤したら、
5/7から休業となってしまった。
私の収入が途絶えてしまうことになる。


そうして私は無職、またの名を
40歳ニート(氷河期世代)とでも言ってみる。
この辺りから自分を責め立てるようになる。
どうして貯蓄が無いのだ?
どうして就職しなかったんだ?
どうして子供を産まないのだ?
どうして運転ができないのだ?
スーパーのバイトも考えたけれど、
マックスバリュ面接日に起きれず。
履歴書と向き合うのが辛いのが正直。
そうなると全く前進できないのだけれど。
もう社会的不要人物。
この5月は特に、お金を使わないように努めた。
家からなるべく出ず、出るとしても
直売所か散歩でしか出ていない。
マルエツに買い物に行っても、
自分の食べたいものは買わなかった。
そうする自分をエライと称えて生活してた。
特別給付金も市のHPから先行給付用の
PDFをコピーして送付したら
5/10くらいに入金されていた。
半分は家賃更新料で消えてゆくのだけれど。
私の無収入分はこれで補えるはず。

そんな時に恐れていた事が起きる。
口内事情だ。歯が抜けた。
その瞬間、お金が消えて行く
イメージしか浮かばなかった。
重なる落ち込み。
口内事情ボロボロだし、
ここは改めて改善して行く時なのかもしれない。

5月の後半は4日ほど
お店の仕事があった。
1日目は店長に車で送ってもらった。

25日には正式に5都道県の自粛解除になり、
6月になると同時に経済が回る。
敢えて経済が回ると言うのは、
命とは別に、という意味を含めつつ、
あくまで人の意思とは別に、
お金のための社会が再開される。

この経験のない期間は、
最初は妙なテンションで躁状態に近いものがあった。
それは後々、鬱状態になったから今思うと躁だった。
躁があってからの鬱。

そうこうしているうちに6月。
日本の経済が再開する。